社名の由来


 私が大阪芸術大学で学んでいた時に住んでいた委託男子学生寮が「平和寮」という名称でした。そこにはあらゆる学科に学ぶクリエイターのたまご達が寝食を共にし、芸術について、そして夢について語らい、共に笑い時に励まし合う。どこにでもある学生寮の風景でした。 

 

 ある時誰かが「これだけいろんな学科がいるんだから、みんなで力を合わせてなにか作ろうよ!」と言いました。作曲は音楽学科の私が、放送学科の先輩が撮影し、映像学科の後輩が編集。工芸学科の染織コースの後輩が衣装を作り、写真学科の後輩がジャケット写真を撮影し、デザイン学科の同期がジャケットデザインをし、舞台芸術学科の先輩が演出をして...そうして私たちは最終的に14タイトルのCD、10タイトルのプロモーションビデオを発売しました。同時に、大阪市西区は南堀江にある平和寮OBの方が経営しているギャラリーにて個展「平展」を3回に渡り行いました。


 また、芸術計画学科の先輩と映像学科の後輩が協力して、LINUXを用いたサーバーを共用の倉庫に構築し、46ある全部屋にLANを完備させ、ファイル共有などのやり取りを実現させました。これによって私達の創作のスピードが格段に向上し、新しい表現や創作手法を考え出しました。そんなサーバーを構築した彼らは現在では世界に名を馳せる巨大なIT企業に勤め、極めて重要なポジションに就いています。


 やがて気がつけば「平和寮ブランド」が確立し、CDやPVだけではなく、ノベルゲームやポストカード、画集などなど、数多くの作品を制作し、学園祭で販売すると途端に完売するほどまでに成長しました。驚くべきはまだISDNが主流だった当時、ポッドキャスティングが普及するよりも前に、インターネットラジオを平和寮のサーバーを用いて制作・放送するのみならず、これら作品のCMを制作し、番組で宣伝・広告まで行っていた事です。


 ある日、テレビ局から「いま日本で最もクリエイティブな学生寮として取材させて欲しい」と大家さんに連絡が入りました。私たちは平和寮がいよいよメディアに進出するきっかけになると大変喜びました。結局現在まで2回の取材がありました。

 そんな私たちの青春の全てであった平和寮も、2009年5月に旧館が、2012年2月に新館が老朽化のためそれぞれ取り壊され、寮民も全国へと散らばっていきました。


 ───あの時の情熱、貪欲さ、斬新さ、そして仲間意識。


 私は彼らと過ごした数年を深く胸に刻み、その"クリエイティビティ(創造性)"を決して忘れることなく、そして自戒の念を込めて「HEIWA ENTERTAINMENT」と名づけました。


 いつかあの時の仲間が再びHEIWA(平和)の名の下に集まれる日を夢見て。

 

(文・株式会社HEIWA ENTERTAINMENT 代表取締役 村岡睦稔)